【グラバー家ヒストリー EP2】故郷スコットランドから長崎へ
2019年7月30日
ツル:みんなさん、こんにちは。ツルです。前回は、グラバーさんの故郷についてお話しました。グラバーさんはどうやら故郷のスコットランドにいたころから身近に港や船のある街並みを見ていたようですね。長崎と同じような景色だったのかしら??
さて、今回のテーマはこちら。

スコットランドで発行されているある歴史的記録書にはグラバーはアバディーンの有名な羊毛製品製造社の代理人として中国に渡ったとあります。
グラバーがスコットランドから遠く離れた日本の長崎にやって来た理由は不明な点が多いのですが、当時はスコットランド人の多くが北米やその他の英国領へ移住しており、若者たちの間で冒険熱が高まっていたことから、グラバーも同じような想いを持っていたのかもしれません。
1859年(安政6年)9月19日、21歳のグラバーは安政の開港により港を開いた長崎にやってきます。その時彼は1通の推薦状を持っていました。その宛先はグラバーと同じくスコットランド出身の商人であるケネス・ロス・マッケンジーでした。
マッケンジーは貿易会社ジャーディン・マセソン商会の代理人であり、同商会の長崎支店を開設するためにグラバーより先に来崎していました。グラバーはマッケンジーのもと貿易の仕事をするべく長崎にやって来たのです。

グラバー:マッケンジーには本当にお世話になった。だからその分、マッケンジーが病に伏せたときは懸命に看病をしたものだ。ちなみに多くの者が私をイメージするときに白ヒゲのおじいさんを描いておるが、長崎に来た頃はこんなイケメンだったことは強く主張しておきたい!
毎年9月の中ごろグラバーの来崎時期に合わせて、長崎市では長崎を拠点に日本の近代化に大きく貢献したトーマス・ブレーク・グラバーらの功績をたたえるため、グラバー顕彰式を行っています。また彼らが暮らした旧外国人居留地エリアでは「長崎居留地まつり」と題して、長崎市民の歴史・文化への関心・愛着や景観やまち並み保存への認識を深めるため様々イベントを行っています。
長崎居留地まつりについてはコチラをご覧ください♪

富三郎:父さんが長崎に来たことをきっかけに、今でもこのように歴史の継承がされています。やっぱり父さんはすごいな~
ツル:今年は9月14日に「グラバー顕彰式」と「長崎居留地まつり」を開催しますよ♪ぜひ長崎の方だけでなく多くのみなさんのご参加をお待ちしております♪
<参考文献>
ブライアン・バークガフニ『グラバー家の人々』2011長崎文献社
【旧グラバー住宅 耐震化を含む保存修理工事について】
現在、旧グラバー住宅は耐震化を含む保存修理工事のため、見学及び順路に変更がございます。約50年ぶりとなる、今か見ることができない世界遺産の保存修理工事の様子を間近でご覧ください!



グラバーに関する展示については、「グラバー特設展」と題して、「旧リンガー住宅」及び「旧スチイル記念学校」で開催中です。ぜひこの機会ご覧くださいませ。

グラバー特設展についてはコチラをご覧ください。