【グラバー家ヒストリー EP8】グラバー商会について② | 【公式】グラバー園

【グラバー家ヒストリー EP8】グラバー商会について②

2019年9月26日
富三郎:こんにちは。富三郎です。前回はグラバー商会の紹介をしました!
グラバー:私が製茶の貿易をしていたことが意外だった人もいるのではないかな?
富三郎:そうですよね。「武器商人」のイメージが強い方が多いかもしれませんね・・・
ツル:けど、製茶だけの貿易をしたわけでありませんよね?
グラバー:うむ。では前回に引き続き、今回も「グラバー商会」の紹介をしよう!

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初期の長崎居留地における輸入業については、インドからの綿織物、中国の絹や染料、東南アジアの香木など、日本で需要のある物が重視されていました。グラバーは1862年(文久2年)2月に「グラバー商会」を立ち上げ、製茶工場を建設し、茶貿易を行いました。また、その他にも綿織物や絹などを輸入し、1864年(元治元年)にはグラバー商会の支店を上海と横浜に開設し事業を拡大させていきました。

グラバー:買い手が求める物を売る!商人の基礎である!
富三郎:さすが父さん!勉強になります!
ツル:それで、結局武器は扱ったの?どうなのです?
グラバー:(コホン)。その話であるが、もちろん扱った。それこそ「買い手が求める物を売る!」の法則に則っているのである♪


 グラバー商会にとって大きな収入源となっていたものは、中古の船や武器の売買です。グラバー商会が設立された1862年は坂下門外の変、寺田屋事件、生麦事件が起きた年であり、世間は倒幕や攘夷の思想が盛り上がっていました。この不安定な時勢に備えるため、諸藩では弾薬や軍事品を求めました。
 このような情勢の中、来崎して間もないグラバーが諸藩とやりとりができた背景には、グラバーの語学力の高さが上げられます。1863年(文久3年)、駐長崎英国領事のジョージ・モリソンは報告書の中で「グラバーは日本語に長け、社交的で、高い階級の日本人と友好関係を持っており、尊敬されている」と綴っています。

グラバー:商人として信頼をしてもらうには、買い手側の言葉をマスターすることが大事である。また、私の会社で何か買いたいという人がいるなら、まずは話を聞く。それがどんな者であってもね。
富三郎:父さんの仕事の流儀ですね!さすがです!
ツル:けれど、倒産してしまいましたよね、グラバー商会。
グラバー・富三郎:・・・・・(シュン)。

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 1868年(明治元年)、明治時代になり倒幕派であった指導者たちは、新たに明治天皇の下で西洋式政府の再建を目指しました。これにより、国際活動の中心は東京に近い横浜へと移り、さらに同年に条約港として神戸と大阪が開かれたことでさらに長崎での貿易が縮小していきました。

富三郎:グラバー商会を含め、船や武器を扱った外国商はこの時代の変化と共に、重要な収入源を失いました。
グラバー:私の会社の場合、武器の取引は投機として行っていたが、諸藩とは口約束によるものが多かった。しかし結局、新政府の設立のドサクサに紛れて、お金の回収ができなかったのだー!!

グラバー商会はジャーディン・マセソン商会から資金援助を受けていましたが、返済が徐々に危うくなり、借金は膨れ上がっていきました。危機的状況になったグラバー商会は「オランダ貿易協会」より多額のローンで負債を肩代わりしてもらいますが、それでも解決することができず、1870年(明治3年)、グラバーはオランダ貿易協会のF・P・トムブリンクを管財人として、英国領事裁判所に破産宣告を申請しました。領事館で審問が行われ、グラバー商会の負債総額は約50万ドルに達していることが分かりました。その負債に対しての解決策は会社解散による破産整理を行うことであり、グラバーは広範囲に渡って行った自身の事業の破産整理に7年を費やしました。


3人:・・・・
富三郎:事業と屏風は広げすぎると倒れると言いますが・・・。
ツル:花火のように打ちあがって散った感じですね。
グラバー:時代が移り変わる不安定な情勢の中、大きなビジネスを行うのは賭けなのだよ・・・。一緒に働いていたジョージ兄さんが、アバディーンで造らせていた軍艦を肥後に引き渡したが、全額36万ドルを回収することができなかったことも痛かったの。。。 あと、一緒にグラバー商会を立ち上げたグルームは、上海でジェームス・ダウという人物と出会い「グラバー・ダウ商会」という会社を立ち上げた。会社に私の名前は入っていたが、私この会社には何も関与しなかったの。。。 あとは、私の会社でお茶の輸出監督をしていたリンガーも私の会社を離れた。しかしリンガーとは話し合いをし、私の仕事を引き継ぐ形で「ホーム・リンガー商会」を立ち上げた。富三郎がその後、そこの会社に世話になり、娘のハナはこの会社の社員と結婚をしているので、所縁多き会社だ。しかし私の会社、倒産したからなぁぁぁぁー。
ツル:過去の失敗をいつまでも引きずらない!
富三郎:そそそ、そうです!父さんはその後の日本近代化に貢献したじゃないですか!
ツル:失敗しない人間なんていないですよ!
グラバー:!!そうだ!そうである!なんにでも挑戦する!それが冒険商人である!
富三郎・ツル:(調子が戻って良かった・・・)
グラバー:私の人生は波乱万丈!楽しいこともあれば、大変なこともある。そのすべてが私グラバーの歴史なのである!まだまだ私の話は続くぞ!
富三郎:今後も父さんのお話にご期待ください♪

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<参考文献>
ブライアン・バークガフニ『グラバー家の人々』2011長崎文献社
ブライアン・バークガフニ『リンガー家秘録1868-1940』2014長崎文献社



【旧グラバー住宅 耐震化を含む保存修理工事について】
現在、旧グラバー住宅は耐震化を含む保存修理工事のため、見学及び順路に変更がございます。約50年ぶりとなる、今しか見ることができない世界遺産の保存修理工事の様子を間近でご覧ください!
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グラバーに関する展示については、「グラバー特設展」と題して、「旧リンガー住宅」及び「旧スチイル記念学校」で開催中です。ぜひこの機会ご覧ください。
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