【グラバー家ヒストリー EP9】西洋の技術の導入
2019年10月15日
グラバー:久方ぶりである!私だ!ツル:前回、グラバー商会の倒産のお話でグラバーさんが落ち込んでしまったと思われた方もいたかもしれませんね~
グラバー:一瞬の落ち込みはあっても私はすぐに立ち直る!だってビジネスチャンスは待ってくれないもん♪
富三郎:そう!会社は倒産しても、父さんは文明開化の日本に色んな西洋の産物を紹介したんです!
グラバー:では、今回のテーマはこれにしよう!

1859年(安政6年)の開港以来、外国人の来崎、居留地の造成によって長崎の外国人居留地は賑わっていきました。また、外国人商人が西洋から輸入する産物に、日本人は驚愕と興味を持ちました。グラバーも商人として様々なものを日本へ持ってきており、それらを日本人に公開しています。その代表的なものが蒸気機関車です。1865年(慶応元年)、グラバーは現在 長崎みなとメディカルセンターがある大浦海岸通りに数百メートルに及ぶ線路を敷き、蒸気機関車を走らせました。
ツル:大浦海岸通りは今、自動車と路面電車が走る道になっているけど、雰囲気的にはあんな感じだったのかしらね~。今は違和感はないけど、当時はみんな驚いたでしょうね。
富三郎:「蒸気機関車」と聞くと、大きくて煙をモクモク出す物を思い浮かべがちですが、父さんが走らせたのは小型のもので2両の車輌を市民の皆さんに向けて走らせたようです。当時の英字新聞「ナガサキプレス」に掲載されていました。
グラバー:私が蒸気機関車を走行させた話については、既に知っている者も多いだろう。しかし、ここで読み取ってほしいのは「蒸気機関」という言葉である!私は単に蒸気機関車を皆に紹介したかったのではなく、蒸気機関の力を見て欲しかったのだ。開港以前の日本の動力は、伝統的な人力などが主で、作業に時間を要していた。日本より先に産業革命が起きたイギリスでは、様々な生産過程に蒸気機関を用いたことで発展を遂げた。私は日本人にもこの蒸気機関の動力を紹介したかったのだ!
ツル:すいごいわ。熱弁。
富三郎:確かにこの蒸気機関の力は日本の産業に大きな影響を与えています!
2015年、世界遺産リストに登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」では、山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・岩手・静岡の8県に残る遺産が登録されました。この世界遺産は、西洋から伝わった技術と日本独自の技術を融合させ、幕末から明治時代までに国内で急速な発展をとげた炭坑、鉄鋼業、造船業に関する遺産です。グラバーは、明治期の日本の産業革命において西洋の新しい技術や船の供給、いち早く蒸気機関による動力を日本に紹介し近代化に貢献した人物としてこの功績が認められ、グラバーの旧宅が世界遺産の構成資産の一つに登録されました。
グラバー:どうだね!私は当時の日本人から一目置かれていたが、現代の日本でも認められておるのだよ!
富三郎:さすが父さん!かっこいいです!!
ツル:せっかくなら、グラバーさんが日本に紹介した他の西洋のものも見てみたいわ!
グラバー:うむ。では次回も私が持ってきた西洋の技術を紹介するぞ♪

明治日本の産業革命遺産公式ホームページはコチラへ。
<参考文献>
ブライアン・バークガフニ『グラバー家の人々』2011長崎文献社
【旧グラバー住宅 耐震化を含む保存修理工事について】
現在、旧グラバー住宅は耐震化を含む保存修理工事のため、見学及び順路に変更がございます。約50年ぶりとなる、今しか見ることができない世界遺産の保存修理工事の様子を間近でご覧ください!



グラバーに関する展示については、「グラバー特設展」と題して、「旧リンガー住宅」及び「旧スチイル記念学校」で開催中です。ぜひこの機会ご覧ください。

グラバー特設展についてはコチラをご覧ください。