【グラバー家ヒストリー EP10】 西洋の技術の導入② | 【公式】グラバー園

【グラバー家ヒストリー EP10】 西洋の技術の導入②

2019年10月29日
富三郎:こんにちは。富三郎です。前回は父さんが日本に持ち込んだ西洋技術のお話でした。
ツル:蒸気機関車の話から、熱く「蒸気機関」についてお話されましたね。
グラバー:蒸気機関は熱いが、私の想いはもっと熱いのだよ!
富三郎・ツル:・・・・。
グラバー:そして今日も私が日本で手掛けた西洋技術の話だ!
ツル:蒸気機関車のように突っ走っていますね。
富三郎:さすが父さんです!今日のお話は何でしょうか?
グラバー:うむ、今日も蒸気機関の話だ!
富三郎・ツル:またーー!?

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   安政の開港以降、長崎には様々な品が輸入されました。その中で注目された物の1つが蒸気船です。これまで伝統的な手漕ぎの船や帆船を使用していた日本人にとっては、鉄製で風の影響を受けない西洋の船は夢のようなものでした。長崎に輸入されるこれらの船は外国系商社を介して購入されました。しかし、西洋で建造されたといっても、中国海域で一度使用された中古船だったため、故障が絶えませんでした。
 これを危惧していた薩摩藩の五代友厚と小松帯刀は親交のあったグラバーと共に、居留地の近くにある「小菅(こすげ)」の小さな入り江に、大規模な船の修理を行う修船場を建設する計画を立てました。

ツル:蒸気機関のお話といったけれど、船の修理のお話ではないですか?
グラバー:修理といっても外国の大きな船を修理だ。それまで日本で行っていた人力任せの修理はかなり厳しい。この修船場では、船を陸に上げるとき、蒸気機関の動力を使った曳揚げ装置を整備した洋式スリップ・ドッグにすることで、外国の船でも修理ができるようにしたのだ!
私はこの事業を成功させるため、修船場で必要な機械の手配をアバディーンにいる兄のチャールズに依頼した。それだけでなく、到着した洋式の機材の設置のために、機械のメーカーである「ホール・ラッセル社」の技師も長崎に来てもらった。
ツル:外国製の機械は日本人には組み立て方や操作の仕方が分からないから、そこまで考えて技師を呼んだのですね!
富三郎:当時の英字新聞『ザ・ナガサキ・タイムズ』では、完成した修船場について、自然にあった岩を活用して造った進水台は1,200トン級の船の収容能力があり、長崎港で今の需要に十分に対応できると評価していますね。
ツル:この時代に1,200トン級の船を収容できるなんですごいわ!

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1873年(明治6年)10月発行の『ザ・ナガサキ・エクスプレス』によると、完成した小菅修船場は、グラバーが経営していました。しかし1869年(明治2年)11月、政府に買い取られ官営となり、政府雇用の外国人技師らによって管理されました。その後、1887年(明治20年)に急速な発展を遂げていた三菱長崎造船所に吸収されました。
 1966年(昭和44年)に国指定史跡に登録、2015年(平成27年)に世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」では、日本最古の蒸気機関を動力とする曳揚げ装置を整備した洋式スリップ・ドッグとして構成資産の1つに登録されました。

富三郎:前回紹介した「旧グラバー住宅」に引き続き、父さんが携わった「小菅修繕場跡」も世界遺産に登録されていますね!
ツル:これでグラバーさんに関係する世界遺産は2つね。もしかすると、まだあるのではないですか??
グラバー:それは今後のお楽しみだ♪次回も引き続き、私が持ってきた西洋の技術を紹介するぞ♪
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明治日本の産業革命遺産公式ホームページはコチラへ。

小菅修船場跡についてのホームページはコチラへ。
<参考文献>
ブライアン・バークガフニ『グラバー家の人々』2011長崎文献社


【旧グラバー住宅 耐震化を含む保存修理工事について】
現在、旧グラバー住宅は耐震化を含む保存修理工事のため、見学及び順路に変更がございます。約50年ぶりとなる、今しか見ることができない世界遺産の保存修理工事の様子を間近でご覧ください!
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グラバーに関する展示については、「グラバー特設展」と題して、「旧リンガー住宅」及び「旧スチイル記念学校」で開催中です。ぜひこの機会ご覧ください。
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グラバー特設展についてはコチラをご覧ください。

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