【グラバー家ヒストリー 番外編】ミニグラバー家に娘が登場
2019年11月11日
ツル:みなさん、こんにちは。ここ最近は、グラバーさんが日本に取り入れた西洋の技術についてお話しています。富三郎:父さんは様々な蒸気機関を取り入れましたが、それまで人力で作業をしていた日本人にとっては、画期的な出来事だったことを改めて感じました!そう言えば前回のお話の最後に私たちの集合写真の後ろに誰か写っている!!というお話を耳にしたのですが・・・

ツル:やだ、オバケですか?
グラバー:オバケではない。これまで私たちはミニサイズになって甦っているが、私たちの家族がもう一人おるだろう。
ツル・富三郎:ハナですね!!


グラバーには息子の富三郎に加え、ハナという娘もいました。グラバーとツルの間に生まれたハナは進学のため長崎から上京します。その後ウエディングドレス姿でグラバー邸の前で集合写真を撮っています。

ハナの夫は旧リンガー住宅の住人フレデリック・リンガーが立ち上げた商社「ホーム・リンガー商会」の社員ウォルター・ゴードン・ベネットです。集合写真にはドレス姿のは新婦ハナと新郎ベネットを始め、グラバーやツル、富三郎のほかにも、グラバーの妹マーサやリンガー夫妻も写っており、二人の結婚を祝福していることが分かります。
1898年、結婚したハナは夫のベネットがホーム・リンガー商会の支店の責任者となったため、新しい支店先となる韓国の仁川に移り住ました。その後、ベネットは独立するために退職し、「ベネット商会」を立ち上げました。またハナは仁川で4人の子どもに恵まれ、1938年(昭和13年)、亡くなるまで韓国で生活をしました。
ハナ:仁川で子どもは産んだけれど、学校はみんな日本やアメリカに留学させたわ。ちなみに長男のトーマスはグラバー邸の近くにある海星学校に入学したのよ。
グラバー:みんな立派に育って嬉しいの!
ツル:きっとベネットさんが不自由なく家族を養ってくれたのね。
富三郎:4人の子どものうち、長男のトーマスだけは結婚後子どもを授かり、その子孫が今もアメリカで暮らしていますよ。
ハナ:富三郎兄さんの代で、グラバー家は終わったけど、私とベネットで血を繋げていったのよ♪それを知ってもらうためにも私の存在は大事♪
グラバー:うむ。確かにそうである。どうしても私が日本で行った事業がスゴイ★から、家族のことが伝わらずにいるが、私にも愛する家族がいた。ここではそんなエピソードも伝えられたらいいの~
富三郎:これで家族が揃いましたし、みんなで発信してきましょう!
グラバー:そうじゃの!では次回は引き続き、私の功績の話だ!
3人:結局、自分の話になるんですね!
人数が増えて、さらに賑やかになったミニグラバー家。今後も和気あいあいとグラバーやその家族についてご紹介してきますのでよろしくお願いいたします♪

ハナやグラバー家についてはグラバー園公式HP内の「南山手秘話」でも紹介しています。ぜひご覧ください!
「南山手秘話」はコチラから★
EPISODE25「悲運の倉場富三郎」
EPISODE49「ツル夫人はどこの人?」
EPISODE58「たった一人のひ孫」
<参考文献>
ブライアン・バークガフニ『グラバー家の人々』2011長崎文献社
【旧グラバー住宅 耐震化を含む保存修理工事について】
現在、旧グラバー住宅は耐震化を含む保存修理工事のため、見学及び順路に変更がございます。約50年ぶりとなる、今しか見ることができない世界遺産の保存修理工事の様子を間近でご覧ください!



グラバーに関する展示については、「グラバー特設展」と題して、「旧リンガー住宅」及び「旧スチイル記念学校」で開催中です。ぜひこの機会ご覧ください。

グラバー特設展についてはコチラをご覧ください。