旧オルト住宅 | グラバー園公式ウェブサイト

旧オルト住宅


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オルト商会を設立し、製茶業を営んでいたウィリアム・ジョン・オルトの旧邸
指定:国指定重要文化財(昭和47年5月15日)
所在地:長崎市南山手町14番地(現在地、南山手町8-1)
建築年:1865年(慶応元)頃
建築面積:504.1㎡ 構造:木造及び石造、平屋建、正面車寄付、寄棟造桟瓦葺
 

 この建物は、大浦天主堂の建築者と同じ天草出身の大工小山秀之進によって建てられました。秀之進旧蔵の設計図には、英語で室名と寸法に日本の尺寸が書き加えられており、設計者が外国人、建築者が日本人であることが伺えます。残された設計図より、室内は、Verandah(ベランダ)、Entrance(出入口)、Drawing Room(応接間)、Dressing Room(居間)、Passage(廊下)、Bedroom(寝室、4室)、Bath(浴室、4室)などからなります。建物は大規模で、木造に外壁は天草の砂岩を使用しています。正面にある噴水は建築当初からあり、車寄せのポーチや、トスカーナ風列柱のベランダが特徴です。一方で、裏手にある附属屋はレンガ造りになっており、その先にある崖沿いには、岩盤をくりぬいた貯蔵庫が残っています。

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ウィリアム・オルト
(William J. Alt, 1840-1908)
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オルト夫人のエリザベス。17歳の時に結婚し、来日
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オルト邸前、建設当初からある噴水
(昭和10年頃、エリザベス・ニュートン氏提供)
 

ウィリアム・オルト(1840-1908)

茶貿易を通じて我が国のお茶を世界に広める
この住宅の最初の主人であったオルトは1859年(安政6)、安政の五か国条約で開港した長崎に来ました。そして居留地であった大浦海岸通りに事務所を建設し、翌年に「オルト商会」を設立しました。オルトは貿易商として活躍し、製茶業で財を成しました。また、居留地自治会の初代議長を務めるほか、居留地の商工会議所の最初の議長も務めました。オルトは、妻エリザベスと二人の娘とで明治元年までこの家で過ごし、その後は大阪や横浜に滞在したのち、イギリスに帰国しました。エリザベスは長崎で過ごしたことを「長崎は本当に美しいところで、これ以上美しい所を私は知らない」と回想録の中で記しています。
オルトがこの住宅を去った後、この建物はメソジスト派の活水女学校の校舎や、アメリカ国領事館として使われました。1903年(明治26)からはリンガー家の所有となり、フレデリック・リンガーの長男一家が太平洋戦争勃発まで暮らしました。1943年(昭和18)には川南工業に売却され1970年(昭和45)に長崎市が買収しました。
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