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Story 8南山手とミッション・スクール

 長崎居留地に開設された最初のカトリック系ミッション・スクールは聖心女学校と海星学校である。フランスに本部を置くショファイユの幼きイエズス修道会の修道女たちは明治13年(1880)に来崎し、翌年、大浦5番地に修道院とセンタンファンス(聖なる子どもたち)と名付けられた子どもたちの家を開設した。

 明治24年(1891)、宗教や国籍を問わず日本人と外国人がともに寄宿した「聖心女学校」を同地に開設し、これは「フランス学校」とも呼ばれ、明治期の長崎では唯一のカトリック系女学校であった。聖心女学校は、同31年(1898)、南山手町16番地に建てられたロマネスク様式赤煉瓦造りの新しい建物に移転した。現在はマリア園の所在地となった旧校舎は、明治期の香りただよう長崎の名所となっている。

 一方、長崎居留地初のカトリック系男子校は、明治25年(1892)1月、マリア会のフランス人修道士たちが南山手31番地に創設した海星学校である。校舎は、ロバート・N・ウォーカー船長やその他の外国人住民がかつて居を構えていた煉瓦造りの豪邸だった。その後、同校は長崎港を見下ろす東山手1番地の高台(現在地)に移転した。明治31年(1898)に完成した荘重なロマネスク様式の校舎は、長崎居留地に新たな歴史と文化を加えた。一方、南山手31番地の建物は長崎に支局を持つ大北電信会社が買い取り、太平洋戦争の勃発までデンマーク従業員の住宅として利用されていたが、戦後に取り壊された。

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