Story 10旧ウォーカー住宅の知られざる過去
南山手東側の狭い地域には、大浦天主堂、大浦諏訪神社、妙行寺という3つの建物が隣接して建てられており、この地域における国際交流の歴史と折衷文化を物語っている。「祈念坂」と呼ばれる大浦天主堂横の石畳の小道を登っていくと、古風なレンガ壁と正門が見える。これは現在グラバー園に移築保存されている「旧ウォーカー住宅」の元の所在地である。居留地時代の住所は南山手乙28番地であった。
ロバート・ウォーカー2世が大正4年(1915)に土地と建物を購入して主となったは、最初に住んでいたのはベル・ビュー・ホテル(南山手11番地、現在のANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒルの場所)のイタリア人経営者C・N・マンチーニだった。明治4年(1871)6月10日付けの英字新聞『ナガサキ・エクスプレス』に、「南山手乙28番地のバンガロー式邸宅」の売却広告が載っていることから、グラバー園に移築保存されている建物は明治初期にすでに建っていたと判断できる。 買い手は不明だが、その後の記録によると、デンマーク生まれのアメリカ人船乗りM・C・カールセンが明治21年(1888)からここに住んでおり、上杉ソモという日本人女性と結婚していた。
しかし、ソモはなんらかの理由でカールセンと別れ、この船乗りは不運にも結核を患い同28年(1895)10月に他界した。遺体は坂本国際墓地に一旦埋葬されたが、親族の依頼で掘り起こされアメリカに帰されることになった。