Story 15「リンゲル液」と長崎
年配の方々は、「リンゲル」といえば、点滴のことを意味していた時代を覚えておられるだろう。しかし、輸液に使用される「リンゲル液」を発明したイギリスの医師シドニー・リンガー博士が、長崎に深い関わりがあったことを知る人はあまりいないかも知れない。
グラバー園に現地保存されている旧リンガー住宅の元主は、イギリス・ノーリッジ市で生まれ、日本の殖産興業と長崎の経済発展に多大な貢献をしたフレデリック・リンガーである。リンガーの2人の兄もそれぞれ世に名を残した。長男のジョンは当初の上海外国人住民として同市の水道建設やその他の事業に貢献した。
一方、次男のシドニーは、ロンドン・カレッジ大学医学部教授として、人間の鼓動とイオンの関係性に関する先行的な研究で名声を博し、1885年(明治18年)に王立協会のフェローとなった。リンガー医師による『リンガーの治療学ハンドブック』は、薬理学者定番の教科書であり、また、彼の名前にちなんだ「リンガー液」(日本ではドイツ語風に「リンゲル液」と呼ばれた)という点滴用の生理食塩水は、現在でも世界中の医療機関で使われている。シドニー・リンガー医師は退官後にロンドンの自宅とノースヨークシャー州ラスティンガムにある妻の実家で余生を送り、弟フレデリックが活躍した日本には来ることはなかった。