Story 17マダム・バタフライ・ハウス
由緒ある旧グラバー住宅の外国人の最後の住人は、戦後直後にアメリカ占領軍の一員として上陸していたジョセフ・ゴールズビー大尉であった。独特な洋風建築と長崎港を一望できることに魅了されたゴールズビーやその後に来崎したバーバラ夫人は、自分がマダム・バタフライのヒロイン、蝶々さんの家に住んでいるのだと想像し、旧グラバー住宅に「マダム・バタフライ・ハウス」という愛称を付けた。
昭和25年(1950)ごろ、占領軍が長崎を後にしてから、同住宅はマスメディアにも注目され、本や雑誌、パンフレットなどで「マダム・バタフライ・ハウス」として紹介され、歴史的根拠に乏しいものの、これは人々の興味を誘い、観光産業を刺激して戦後長崎の復活のきっかけとなった。
昭和31年(1956)のダニエル・ダリュー、ジャン・マレー、岸恵子出演のフランス映画、「忘れえぬ慕情」は蝶々夫人を思い出させ、長崎に対する国際的な関心をさらに高めた。同32年(1957)、三菱重工は長崎造船所の前身である長崎溶鉄所の100周年記念として旧グラバー住宅を長崎市に寄贈。翌年、旧グラバー住宅が一般に公開されると、「マダム・バタフライ・ハウス」や「蝶々夫人ゆかりの地」の名称は長崎の観光産業を活性化させるために、標識、パンフレットやその他の宣伝に広く使われた。バスガイドまでも感動のアリア、「ある晴れた日」を歌う勉強をして旧グラバー住宅を訪れる観光客を楽しませたという。