Story 19日本最初の領事館
安政6年(1859)に開設された長崎イギリス領事館は、日本最初の外国領事館であり、太平洋戦争直前に閉鎖されるまで、長崎における最も影響力のある外交機関として居留地社会の中心的施設という役割を果たした。
安政6年5月、ラザフォード・オールコック初代イギリス公使に随行して来崎したC・P・ホジソンは、長崎初代イギリス領事に任命されていたジョージ・モリソンの来日が遅れたため、大浦郷の妙行寺に仮設した領事館で業務を開始した。一行は6月13日(旧暦5月13日)、妙行寺境内の旗竿に初めてユニオン・ジャックを揚げた。同年7月に着任したモリソンは、領事館業務を引継ぎ、居留地の基盤整備に尽力した。しかし、彼は仮領事館の状況には驚いたようである。オールコック公使にあてた手紙で彼は次のように伝えている。「私はここに到着すると、領事館の施設は古びた寺院の小部屋、厨房、2軒の付属屋(その1つは馬屋に過ぎない)と背面および前面に広がる泥の庭から構成されていることを知りました。(中略)これは3人の紳士、巡査、および10~12名の使用人が公務を遂行するのに相応しいものとは到底いえません。」
文久3年(1863)6月、モリソンは南山手11番地の「グリーンズ・ホテル」(後のベル・ビュー・ホテル、現在はANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒル所在地)に領事館を移設してやっと安堵することができた。一方、妙行寺は今も元の場所で法務を続けている。