Story 21クリフ・ハウス・ホテル物語
20世紀の変わり目ごろ、長崎は国際貿易港として空前の賑わいを呈していた。この時期に繁盛した西洋式ホテルのなかに、南山手10番地のクリフ・ハウス・ホテルがあった。このホテルは2つの大きな西洋風建築からなっており、ひとつには客室、もうひとつにはロビーやレストラン、ビリヤード場が設けられていていた。経営者は、日本の海運業に貢献していたウィルソン・ウォーカー元船長とその妻シャーロット。大正9年(1920)に日本人経営者に代わったが、事業は成功にはいたらなかった。
同じ年に雨森一郎とその弟田中政彦が土地と建物を購入して田中・雨森病院を開設した。その後、旧クリフ・ハウス・ホテルの部屋の一部は外国人に月貸しされた。住人のひとりに昭和5年(1930)に来崎したポーランド出身のカトリック司祭マキシミリアノ・コルベがいた。コルベは印刷所を立ち上げ、「無原罪の聖母の騎士」を執筆し出版した。同11年(1936)に帰国した彼、はナチスを批判した罪でアウシュビッツ強制収容所に送られ、やがて処刑を宣告された妻子持ちの収容者のかわりを申し出て処刑された。
昭和57年(1982)、コルベは教皇ヨハネ・パウロ2世により聖者の列に加えられた。旧クリフ・ハウス・ホテルの建物は戦後、三上工作所という工場に改装されたが、昭和48年(1973)の火事で焼失してしまった。現在は、レンガ造りの煙突だけが残り、往時の繁栄と国際交流を静かに物語っている。