重要な
お知らせ一覧

Story 22南山手の貴婦人、シャーロット・ウォーカー

 オランダ生まれのシャーロット・ウォーカー(旧姓ノードホーク・ヘフト)は、日本郵船会社船長ウィルソン・ウォーカーの妻として約30年間長崎に居住した。彼女の父であるオランダ人商人M・J・B・ノードホーク・ヘフトは、横浜居留地で活躍し、劇場の開設や初期のビール醸造所の経営などで知られる。毎年開催さる「横浜山手ヘフト祭」は彼に因んで名づけられた。ウィルソン・ウォーカー一家は明治26年(1893)に神戸から長崎に移住し、南山手12番地に居を構えた。夫が瀬戸内海における水先案内を務めている間、シャーロットは隣接する南山手10番地でクリフ・ハウス・ホテルを経営した。また日本で生まれた5人の子供たちを長崎で育て、それぞれの結婚と離崎を南山手12番地の大きな西洋風住宅で見届けた。

 シャーロットは、夫ウィルソンが大正3年(1914)に死去した後も南山手に住み続けたが、同9年(1920)に長女の住む上海へ渡り、その後、南山手12番地の邸宅と10番地のクリフ・ハウス・ホテルを病院の開設を計画していた雨森兄弟に売却した。

 昭和12年(1937)、日中戦争が勃発すると、英国政府は上海に残る自国民を香港に避難させた。シャーロットと娘と孫たちもその中にいた。一家は香港で仮住まいの生活をしていたが、シャーロットは風邪を患い、同年9月26日に帰らぬ人となった。享年77歳であった。現在の長崎では、坂本国際墓地における夫ウィルソンの墓碑と、「南山手町並み保存センター」として移築保存されている旧南山手12番館のみがシャーロット・ウォーカーを偲ぶ。

リーフレットのダウンロード