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Story 23日本初のボウリング場

 安政開港後、西洋からいち早く伝えられた屋内レクリエーションのひとつにボウリングがある。文久元年(1861)6月22日発行の英字新聞「ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー」の中に、「ヒロババ・ストリート」(現在の広馬場商店街)に「インターナショナル・ボーリング・サルーン」開設を知らせる小広告が載っているが、この施設が日本最初のボウリング場と呼ばれるゆえんである。後に、居留地に新しく建設されたホテルや酒場では、ボウリングレーンの設置はあたりまえになった。

 その一つは、ドイツ人、ヨハネス・ウムラントが明治6年(1873)、南山手甲10番地に開設した酒場兼ボウリング場である。彼が同14年(1881)に他界した後、南山手甲10番地の施設は「ナガサキ・ボウリング・クラブ」として生まれ変わり、同37年(1904)、フレデリック・リンガーが土地と建物を競売で落札した。同年6月4日、クラブの新会長ジョセフ・デインティを含む40人が集まって新たな施設の発足を祝った。南山手甲10番地のボウリング場は太平洋戦争のころまで存続したが、戦後はリンガーの子孫が土地と建物を売却し、その跡地は現在駐車場となっている。

 毎日多くの観光客が行き来するオランダ坂の途中に、「ボウリング日本発祥地」の古びた祈念碑が目に留まる。しかし、それは南山手甲10番地の「ナガサキ・ボウリング・クラブ」の跡地を示すもの。実際の発祥地はやはり上記の広馬場商店街である。

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