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Story 34悲運のリナ・リンガー

 フレデリック・リンガーの1人娘リナ(Lina)は明治19年(1886)に長崎で生まれた。イギリスでの学校教育を終えて帰ってきた彼女は、父の猛反対を押し切って、英字新聞「ナガサキ・プレス」の記者を務めていたウィルモット・ルイスと結婚。ショックを受けたリンガーは突如イギリスへ帰国し、同年の秋に故郷のノーリッジでこの世を去った。

 その後、リナは長女を出産し、ウィルモットは「マニラ・タイムズ」紙の記者となり、家族とともにフィリピンに引っ越した。マニラでは次女が生まれ、一家は幸せな日々を過ごしていたが、大正5年(1916)、ウィルモットは第一次世界大戦を取材するためにフリージャーナリストとなって単身ヨーロッパへ渡った。ウィルモットはフランス政府から勲章を受け、さらに大正9年(1920)年に「ザ・タイムズ」紙のワシントン特派員という名誉ある地位を得てアメリカへ移住した。

 一方、リナは南山手14番地の実家(旧オルト住宅)に戻り、母親と兄弟に支えられて静かに暮らした。娘たちは南山手16番地の聖心女学校(現マリア園所在地)に通学した。大正14年(1925)、リナは夫の不倫を原因として、英国最高裁判所に離婚申請書を提出。この件を担当した裁判長は離婚を認め、一切の反論をしなかったウィルモットに対し、慰謝料と娘たちの養育費の支払いを命じた。しかし、ウィルモット・ルイスはほどなくしてこの重荷の大部分から免れることになった。それは、4年後にリナが43歳の若さで他界したからである。彼女の早過ぎる死は「悲しみ」が原因だったと子孫はいう。

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