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Story 36最初のフランス領事

 長崎居留地は、大村藩の領地だった戸町村大浦郷に開設された。万延元年(1860)に第1期の造成工事が完成すると、イギリス、アメリカ、ポルトガルおよびフランスの領事が借地する居留者のリストを作成した。当時のフランス領事はフランス人ではなく、ジャーディン・マセソン商会代表のスコットランド人商人、ケネス・R・マッケンジーだった。

 マッケンジーは、安政開港の数ヶ月前から来崎し、大浦郷妙行寺近くの民家を借りていた。開港当時から文久元年(1861)6月まで、彼はフランス領事代理を務め、現在は大浦天主堂所在地にあたる借家敷地に旗竿を立ててフランス国旗を揚げた。文久2年(1862)、フランス人医師レオン・デューリーが正式な長崎フランス領事として就任し、南山手の住宅に領事館を移した。しかし、デューリーは明治3年(1870)に京都へ移住し、同年にプロイセン・フランス戦争が勃発したために領事業務が一時停止された。

 その後、転々と場所を変えていた長崎フランス領事館は、永久的な設置場所が決まらないまま、明治41年(1908)に閉鎖され、イギリス領事がフランス領事の業務を兼務するようになった。大正9年(1920)ごろから太平洋戦争までの間、長崎在住のフランス人商人が母国政府の代表として職務を果たし、東山手甲13番地の自宅(現存)が最後の領事館となった。一方、最初の長崎フランス領事を務めて帰らぬ人となったケネス・R・マッケンジーは、大浦国際墓地で静かに永眠している。

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