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Story 38ウィルソン・ウォーカー2世の決断

 日本の海運業に貢献して長崎で余生を過ごしたウィルソン・ウォーカー船長は、一人の息子と5人の娘の父だった。日本で生まれた息子のウィルソン2世は、イギリス留学後に帰崎し、両親が経営していたクリフ・ハウス・ホテルの支配人となった。しかし、明治40年(1907)ごろ、ウィルソン・ウォーカー船長と一人息子の親子関係に亀裂が入ってしまった。子孫によると、その原因は息子が歓楽街で働く日本人女性との結婚を強く望んだからである。その話を聞いたウォーカー船長は激怒し、ホテルを売るぞと脅しをかけたという。結果として結婚が延期され、ホテル売却の話も取り下げられたが、翌年ウィルソン2世が結婚を貫く意思を表した時、父は息子を勘当し、そしてウォーカー家で二度とその名前を口にすることを許さなくなったのであった。

 ウィルソン2世は婚約者と共にこっそり長崎を出て満州へ渡り、安東にある中国海事税関に就職した。息子が去った後、ウォーカー船長はクリフ・ハウス・ホテルの経営を妻シャーロットに任せ、南山手12番の家で静かに引退生活を送っていた。我が家のベランダでくつろぎ、港を見下ろし、娘たちが学校を卒業して花嫁修業に励む姿を見守り、居留地の社会活動には時折参加した。

 大正3年(1914)秋、ウィルソン・ウォーカー船長は病に倒れ、家族に看取られて亡くなった。69年の生涯のうちの46年間を日本で過していた。母とは連絡を取り合っていた息子のウィルソン2世も大急ぎで長崎に戻り、父の最期に間に合った。

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