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Story 40南山手乙9番館の真実

 松が枝町に居留地時代の面影を伝える大きなレンガ造り倉庫があり、隣の旧南山手乙9番地には美しい2階建洋風住宅がたたずんでいる。庭に設置された説明板には、ロシア人実業家G・ナパルコフが明治中期に同住宅を建設したと記されている。しかし、領事館記録などを見ると、明治5年(1872)からイギリス人荷揚げ業者チャールズ・サットンが南山手乙9番地の借地権を保有していたことが分かる。英字新聞の発行人でもあった彼は、その数年前、長崎の路地裏で浪人に襲われ左腕を切り落とされるという経歴の持ち主だった。

 明治17年(1884)年から、サットンの同僚アーサー・ノーマンが南山手乙9番地の借地権を譲り受け、同25年(1892)にサットンが亡くなった後、英字新聞の経営も引きついだ。これらの史実からみて、現存する住宅の建築主は上記のナパルコフではなく、サットンまたはノーマンだったと推定できる。明治31年(1898)、日本郵船会社(NYK)の元船長ロバート・N・ウォーカーが家族とともに南山手乙9番館に居を構え、同35年(1902)に現存するレンガ造り倉庫を隣に建てた。

 その後、ウォーカーの次男ロバート・ウォーカー2世が南山手乙9番地の土地と建物を売り、昭和10年(1935)から中村家の住居となった。平成4年(1992)、長崎市が老朽していた建物を買い取り、修復工事を行った。現在は、美術館として有効に活用されているが、元住人たちのことはほとんど忘れられている。

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