重要な
お知らせ一覧

Story 41狂人のアーサー・ノーマン

 イギリス人のアーサー・ノーマン(Arthur Norman)は明治8年(1875)ごろに来崎し、20年以上にわたり、英字新聞編集者、パブリックホール(居留地公民館)支配人およびナガサキ・ボウリング・クラブ会計係として活躍した。前任者のチャールズ・サットンから英字新聞「ライジング・サン・アンド・ナガサキ・エクスプレス」の編集を引き継いだ彼は、社説を通して長崎居留地に関連する様々な出来事や問題について博学な意見を表明した。

 自宅は、下り松(現在の松が枝町)の印刷所裏手の南山手乙9番館(現存)にあった。ノーマンは、明治18年(1885)に創設されたナガサキ・フリーメイソン・ロッジにも中心的な役割を果たした。印刷所の2階を集会所としてロッジに貸し、フリーメイソンのマークを刻んだ門柱を入り口に設置した。その後、彼はフリーメイソン・ロッジの事務係を務めた。しかし、仕事のストレスに耐えかねて、ノーマンは次第に神経衰弱に陥り、奇妙な行動をとるようになった。

 明治30年(1897)、調査を行ったイギリス領事が医者の診断に基づきノーマンを強制入院させ、オークションにより彼の財産を売却。英字新聞に掲載されたオークション広告は、「A・ノーマン氏、狂人」と題されていた。同年11月、香港の精神病院に収容されたアーサー・ノーマンは帰らぬ人となった。

 昭和30年代、下り松(松が枝町)47番地にあった元印刷所の洋風建築は取壊されたが、表の門柱だけが保存され、グラバー園に移され現在に至る。しかし、説明板にはアーサー・ノーマンの名前がない。

リーフレットのダウンロード