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Story 47旧リンガー住宅と戦争

 南山手2番館(現在の旧リンガー住宅)で生まれ育ったシドニー・リンガーは昭和15年(1940)10月、戦争勃発の危機が迫ってくる中、妻アイリーンと共に長崎から上海に逃れた。同18年(1943)、二人は日本軍により拘留され、終戦まで中国の強制収容所で飢えをしのいだ。

 一方、長崎におけるリンガー家所有の土地と建物は、本人不在のまま「敵国財産」として売却された。リンガー夫妻がようやく長崎に戻ることができたのは昭和26年(1951)2月のことであった。何年もの間幸せに暮らしていた南山手2番館は比較的良好な状態で建っていたが、それぞれの部屋には知らない日本人家族が不法に住み着いていた。シドニーたちは、財産を取り戻す法的手続きを済ますのに数年がかかり、その後日本に帰る機会はあったものの、もはや住人として戻るというよりは、旅行者として訪れるという状況であった。

 そのある日、南山手の自宅前で長年リンガー家に仕えていた庭師、富田幾太郎さん一家と左の写真をとった。シドニーは昭和33年(1958)から同39年(1964)まで、広島と長崎に設立された原爆障害調査委員会(ABCC)のアメリカ人専門家たちに南山手の自宅を貸した。彼らはその緑に囲まれた旧居留地の情緒や一望できる港の風景を楽しんでいたが、建物の波乱に満ちた歴史についてはほとんど知らなかったことだろう。

 昭和40年(1965)、シドニーは代理人を通じて交渉に応じ、1800万円の売値でその土地と建物を長崎市に売却した。翌年の昭和41年(1966)、南山手2番館は「旧リンガー住宅」として、旧グラバー住宅とともに一般公開され、現在に至る。

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