Story 49ツル夫人はどこの人?
淡路屋ツルはトーマス・グラバーの人生の伴侶だったが、正式に結婚しなかった二人の出会いの経緯はほとんど知られていない。グラバーは、富三郎とハナという二人の子供はいたが、ハナだけがツルの子だった。
長崎市役所に保管されている戸籍によると、明治3年(1870)に生まれた富三郎の実母は「加賀マキ」であり、なおツルの戸籍では彼は「養子」となっている。ツルは明治9年(1876)にハナを出産したので、明治4年から9年の間にグラバーと結ばれたようである。ツルは大阪市新町に生まれ、その後「淡路屋安兵衛」の養子になったと戸籍に記されているが、他方では彼女は豊後(大分県)出身という記述もあるので釈然としない。
昭和24年(1949)、義理の曾孫に当たる野田平之助がツルの略歴を次のように新聞記者に伝えている。「大分県竹田村岡城御普請大工中西安兵衛の娘としてツルさんは生まれ、十五歳の時同町の山村國太郎と結婚して山村ツルと名乗り文久三年娘センを生んだが、しゅうととの折れ合いがわるくそのうえ夫國太郎の乱行にたまりかねて離婚して大阪で一年ばかり芸者をしたのち長崎に渡り、ここでも芸者をしているうち、当時の三菱造船所の技術顧問をしていた英人グラバー氏と結婚、東京で四十九歳を最後として華やかな環境の中に死んで行った。」(「長崎日々新聞」昭和24年10月2日号、原文のまま)
ツルが東京で他界した明治32年(1899)以降、トーマス・グラバーが他の女性と結ばれることはなかった。