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Story 58たった一人のひ孫

 長崎市役所に保管されている戸籍によると、トーマス・グラバーの妻ツルは1876(明治9)年9月9日女の子を出産、ハナと名付けた。幼少期を長崎と東京で過ごしたハナは、1897(同30年)1月、ホーム・リンガー商会に勤務する英国人ウォルター・ベネットと結婚。当時、新郎は28歳、新婦はまだ20歳だった。

 翌年、ウォルターはホーム・リンガー商会仁川(朝鮮)支店の営業責任者となった。その後、彼は独立して「ベネット商会」を旗揚げし、仁川における英国領事も務めた。夫妻の朝鮮滞在は、1938(昭和13)年にハナが世を去るまで続いた。妻に先立たれたウォルターは太平洋戦争勃発直前に英国へ帰ってロンドンで病没した。

 ウォルターとハナの4人の子供たちは全員仁川で生まれ、現地の外国人居留地にある大邸宅で裕福な生活を送っていたが、学齢に達すると日本やアメリカヘ留学した。長男トーマス・ベネットは、マリア会が経営する長崎東山手の海星学校初等科に入学し、叔父の倉場富三郎が住むグラバー邸から通学した。そして、15歳でオハイオ州デイトンにある、同じマリア会経営の聖マリア大学(現デイトン大学)ヘと進学した。第一次世界大戦中トーマスはパイロットとして米国空軍に仕え、戦後にはウィスコンシン大学を卒業して電気工学技師としてジェネラル・モーターズ社に入社した。

 ウォルターとハナの4人の子供のうち、トーマス・ベネットだけが1931(昭和6)年に子宝に恵まれたので、現在もアメリカに暮らす長男ロナルドは、日本の近代化に貢献したトーマス・グラバーのたった一人のひ孫である。

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