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Story 61ナガサキ・ボーリング・クラブ

 長崎は日本におけるボーリング発祥の地。最初は1861(文久元)年に広馬場で開設した「インターナショナル・ボーリング・サルーン」だが、ボーリング場はその後、居留地の西洋式ホテルの標準施設となっていた。1873(明治6)年、南山手甲10番地でインペリアル・ホテルを経営していた2人のドイツ人、ヨハネス・ウムラントとハインリッヒ・ショーンネッケは、「ゲルマニア・ボーリング・サルーン」をホテル内に併設した。

 順風満帆だったが、肺の病気を患っていたショーンネッケは、1881(明治14)年に他界し、その翌日に健康であったはずのウムラントも亡くなり、居留地を震撼させた。死因は不明だが、長年のパートナーであったショーンネッケを失ったことは、ウムラントにとって耐え難いものだったかもしれない。2人は大浦国際墓地に並んで永眠している。

 その後、南山手甲10番地のホテルとボーリング場はオークションに出され、「ナガサキ・ボーリング・クラブ」として再開。居留地の数少ない社交と娯楽の場として賑わった。経営者のニールス・ルンドバーグ(スウェーデン人)は1903(明治36)年に亡くなると、土地と建物は再びオークションに出され、豪商フレデリック・リンガーが落札した。同年6月4日、40名の会員たちが集まり、「ナガサキ・メンバーズ・ボーリング・クラブ」の発足を祝った。

 南山手甲10番地のボーリング場は、太平洋戦争を経て日本人所有者に引きつがれたが、建物はその後取り壊された。跡地は現在、南山手オランダ坂脇の駐車場となっている。

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