Story 66アルシディー・リンガーの離日
グラバー園に保存されている旧オルト住宅(国指定重要文化財)の最後の外国人所有者は、イギリス人豪商フレデリック・リンガーの長男フレディーとその妻アルシディー(旧姓バックランド)である。
1940(昭和15)年のフレディーの死去によりアルシディーは一人となったが、使用人たちに日々の生活を支えられながら南山手の自宅に住み続けた。しかし、太平洋戦争が勃発した翌年12月8日の朝、警官が玄関のドアを叩いて彼女を逮捕した。警官は64歳のアルシディーを梅香崎警察署に連行して尋問し、彼女が上海からのラジオ放送を聞いていたとしてスパイ活動の罪で告発し、独房に監禁した。問題のラジオは、当時の長崎市民が普通に使っていたものと同じだった。
アルシディーは裁判官の前に一度も立たないまま、すべての容疑で有罪判決を受け、罰金300円の支払いを命じられた。1942(昭和17)年4月に警察署から釈放され、同じように残留していた長崎英国領事夫妻や日本人の妻を持つ年配者など、数名の外国人と共に聖マリア学院の校舎に収容された。同年7月21日、警察はようやく彼女を自宅に帰し、出国のための準備をさせた。急いでまとめた荷物を手に持ったアルシディーは、南山手から波止場に下りる慣れ親しんだ道から振り向くと、リンガー家の屋敷(現在の旧オルト住宅と旧リンガー住宅)は暑い日差しとは対照的な寂しい空き家になっていた。
アルシディーはその日の内に長崎を後にし、イギリス人の外交官や民間人を帰国させるために用意された交換船に乗り、横浜港から日本を去った。