重要な
お知らせ一覧

Story 69古賀野富子と十六番館

 グラバー園出口のそばに「十六番館」という、現在は閉鎖されている観光施設がある。この西洋風建築はもともと南山手ではなく東山手16番地に立っていた。正確な築年は不明だが、1864(元治元)年に借地権を入手した英国領事エイベル・ガウワーが自宅として建設したものと思われる。

 1879(明治12)年、メソジスト伝道会が東山手16番館を購入し、活水女学校を創設した。その後、米国改革派教会が建物を宣教師住宅として確保したが、やがて、活水女学校が東山手キャンパスの一部に組み入れた。太平洋戦争後、建物は荒廃してほとんど使われなくなってしまったが、解体から救ったのは、元宝塚歌劇のスター、古賀野富子だった。

 富江村(現在の五島市)生まれの彼女は、第14期生として宝塚歌劇に入団し、1926(昭和元)年に初めて舞台に立った。その後、「嵯峨あきら」と名乗り、喜歌劇「近代三銃士」(1930年)や歌劇「中將姫」(1931年)などに男役で出演して名声を博した。太平洋戦争直後、長崎へ帰っていた古賀野富子は、アメリカ人兵士を相手に「宝塚ダンスホール」を浜の町にオープンした。同ダンスホールは大いに成功し、古賀野富子はその経営者ばかりでなく、進駐軍と地元社会との架け橋として一目置かれる存在となった。

 1957(昭和32)年、彼女は活水学院が所有していた東山手16番館を購入して旧グラバー住宅の近くに建物を移築し、キリシタン関係資料などを展示する資料館として公開。建物は移設後も「十六番館」と呼ばれ、古賀野富子が1993(平成5)年に他界するまで、観光名所として賑わった。

リーフレットのダウンロード