Story 80捕鯨船の砲手
ノルウェイ生まれのモルテン・ペデルセンは、1894(明治27)年ごろから朝鮮半島沿岸においてロシアの捕鯨船ジョージー号の砲手として活躍。同船は、船首に取り付けた捕鯨砲を特徴とする「ノルウェイ式捕鯨」の専用船であった。冬の間に捕獲されたクジラは、鯨肉の需要が尽きない長崎の市場に牽引され、解体せずにそのまま売られていた。
1896(明治29)年冬の捕鯨期間後、ジョージー号は小菅修船所のスリップドックでペンキの塗り直しのために陸揚げされた。英字新聞の編集者はその様子について次のように述べている。「船首には、釣り線が巻かれた鉄板の斜面の上に妙な形の捕鯨砲が回転台に乗せられている。槍の先端には爆弾が仕掛けられており、クジラに刺さるとその体内に槍の破片が散らかるようにできている。」 翌年の新聞には、ロシアの船団が1月から5月にかけて74頭のクジラを捕獲し、その胴体のすべてが長崎で売られ、合計で約1,390トンの鯨肉が地元の市場に出回ったことが報告された。
1899(同32)年、ペデルセンは、ノルウェイ式捕鯨を導入した日本遠洋漁業会社に砲手として雇われ、家族とともに長崎に移り住み南山手8番地に居を構えた。長崎滞在中、子供たちは居留地のミッション・スクールに通った。 その後、日本遠洋漁業会社は、最新鋭の捕鯨船をノルウェイの造船所に発注し、日本への帰航にペデルセンや他のノルウェイ人従業員を起用した。
日本の近代捕鯨に貢献したモルテン・ペデルセンはその航海中に病死し、悲しみにくれた家族はやがてノルウェイへ帰国した。