Story 82南山手乙27番地の秘話
イタリア生まれのイギリス人技師、エラスムス・ガウワーは、1867(慶応3)年に徳川幕府に雇われ、北海道や佐渡島の鉱山開発にあたらされた。弟のエイベル・ガウワーはイギリスの外交官で、長崎などの領事を務めた。
エラスムスは、佐渡で出会った日本人女性、志保井ウタとの間に2人の息子が生まれ、1876(明治9)年、家族と共に来崎。元々あった高島炭坑の立坑が浸水したため、隣接する双子島に新しい立坑の掘削を監督するためであった。彼はこの機会に港を見下ろす南山手乙27番地の石造り洋風住宅に居を構えた。長崎県が1881(明治14)年に行った外国人人口調査の資料には、南山手乙27番地に「エラスムス・ガウワーと女性」が住んでいたことが記されている。この情報は日本語で編集されており、外国人の名前しか書かれていないため、人々の関係性や日本人家族の名前を判断することは困難である。しかし、ここで「女性」と記されている人物は、エラスムスと同居していた志保井ウタを指すと考えて差し支えないだろう。
翌々年の人口調査ではエラスムスの名前が消えており、「女性」だけが南山手乙27番地に住んでいる。このことから、彼は長崎を突然に引き上げて帰国し、志保井ウタはまさしく蝶々夫人のように、子供たちとともに南山手に置き去りにされていたと思われる。
その後、エラスムスとウタの長男、志保井利夫は出世し、北見工業大学教授とて歴史にその名を刻む。一方、南山手乙27番地の住宅は存続し、現在は「南山手レストハウス」として公開されている。