Story 84大浦天主堂のステンドグラス
大浦天主堂内には、正面祭壇奥に「十字架のキリスト」と題するステンドグラスの窓が掲げられている。元々は、1865(慶應元)年、天主堂を設計したフューレ神父の故郷であるフランスのマン市のカルメル修道院から、天主堂の建立を記念して寄贈されたものである。十字架上のキリストとその右に立つ聖母マリア、左には使徒ヨハネを描いている。
大浦天主堂は、居留地の外国人住民および日本人信者の信仰の場として南山手の丘にたたずみ続け、1933(昭和8)年、日本洋風建築の初期を飾る代表的な建物として国宝に指定された。建物が増築や修復を繰り返す中、正面祭壇奥のステンドグラスは祈りをささげる人々にその鮮やかな光を注ぎ続けた。 1945(昭和20)年8月9日の原爆により、天主堂の屋根、正面大門扉やその他の部分に甚大な被害が及ばされ、正面祭壇奥のステンドグラスも粉々に破壊されてしまった。
戦後の混乱を経て、カトリック長崎大司教区は1951(昭和26)年に大浦天主堂の修復工事に着手し、フランスの業者に正面祭壇奥のステンドグラスのレプリカを発注。工事終了後の1953(昭和28)年3月、大浦天主堂は改めて国宝に再指定され注目を浴びた。
しかし、観光客がミサの最中に見物に入るなど、大浦天主堂内での典礼の進行に支障をきたすようになった。カトリック長崎大司教区は、1966(昭和41)年、大浦天主堂を一般に公開し、さらに、1975(昭和50)年、隣接する土地に新たに大浦教会を建設した。その後、大浦天主堂は信者が集う町教会から抜け殻の有料観光施設に変身する。