重要な
お知らせ一覧

Story 86マリア園の昨今

 南山手甲1番地の大浦天主堂は、パリ外国宣教会のフランス人神父の指導のもと、1864(元治元)年12月に完成し、翌年2月に献堂式が行われた。1873(明治6)年の明治政府によるキリスト教禁教令廃止を受けて、大浦天主堂のプティジャン神父らは神学校設立を計画した。1875(明治8)年に完成した「ラテン神学校」の建物は、国指定重要文化財として現存している。

 ラテン神学校は、1926(大正15)年に浦上神学校ができるまで、校舎兼宿舎として使用されたが、一般の子供たちではなく、カトリック司祭になりたいという日本人神学生のみが入学できる施設だった。長崎居留地に開設された最初のカトリック系ミッションスクールは、男子校の海星学校と女子校の聖心女学校である。

 1880(明治13)年ごろから長崎で活動していた「ショファイユの幼きイエズス修道会」のフランス人修道女たちは、1891(明治24)年、日本人も外国人も入学できる「聖心女学校」を大浦5番地(現日本聖公会長崎聖三一教会所在地)に開設した。聖心女学校は、1898(同31)年、南山手町16番地に建てられたロマネスク様式赤煉瓦造りの新しい建物に移転した。同学校は、1941(昭和16)年の太平洋戦争勃発を機に、上野町の常清女学校と合併した。戦後にアメリカ進駐軍の宿舎として利用された建物は、修道会に返還され、1946(昭和21)年に「マリア園」と名称を変更して児童養護施設として再出発をした。

 マリア園は最近、建物の売却と施設の移転を発表。東京の開発大手が建物を買収し、富裕層向けのホテルに改造するという。

リーフレットのダウンロード