Story 100長崎港を眺めて
トーマス・グラバーが1876(明治9)年ごろ東京へ移住した後、一本松邸(現・旧グラバー住宅)は借家となり、外国人家族が入り代わり入居した。1909(明治42)年9月8日の手紙で、グラバーの長男、倉場富三郎はワカ夫人とともに一本松邸に引っ越す決心をしたと報告している。手紙の内容から、トーマス・グラバーが以前から一本松邸に住むように息子に頼んでいただけでなく、グラバー自身がそこで一緒に暮らし、晩年を長崎で過ごしたいとの思いがあったことが読み取れる。手紙の一部を下に紹介する。
「親愛なる父へ。先月20日と今月6日付の2通のお手紙ありがとうございます。前者を読んで、ご希望通り一本松邸に住むことをようやく決心しました。現在私は、外壁の塗り替えと屋内電灯の取り付けを見積もり中です。塗り替えは200〜250円がかかると思います。この二つの仕事は極めて必要だと考えおり、あなたがすぐ許可してくださることを確信しています。あなたのお部屋の壁紙をどうぞ選んでください。10巻は必要でしょう。他に縁用として8巻。それらの見本をお手元にお送りします。私とワカは真ん中の部屋を寝室として使用するつもりです。」
トーマス・グラバーが長崎に戻り、思い出深い一本松邸のベランダの椅子に座って半世紀以上も慣れ親しんだ港をゆっくり眺めたいという夢は叶わなかった。彼は、1911(明治44)年12月16日に73年の人生を終えるまで東京で過ごすのであった。
「南山手秘話」の連載はこの100回目を以て終わりにいたします。長らくご愛読いただき、ありがとうございました。