Story 2グラバー園に移築されたフリーメイソン・ロッジの門柱
グラバー園に移築されたフリーメイソン・ロッジの門柱フリーメイソンは、中世のイギリスで始められた友愛団体だが、長崎におけるロッジ(集会所)は、明治18年(1885)に発足した。三菱長崎造船所に勤めるイギリス人たちが会員の大半を占め、初代グランドマスター(ロッジ長)に選ばれたのは、三菱が長崎造船所の初代マネージャーであったスコットランド人のジョン・コルダー(John Calder)であった。コルダーの住宅は、現在は愛知県の明治村に移築保存されてる南山手25番館であった。明治22年(1889)、会員たちが大浦47番地の建物の2階にロッジを移してフリーメイソンのマークを刻んだ門柱を入口に設置した。ロッジは大正8年(1919)に活動を中止し、大浦47番地の洋風建築も戦後に取り壊された。表の門柱だけが保存され、旧グラバー住宅と旧リンガー住宅の間にあるテニスコート跡に移された。昭和46年(1971)にグラバー園の整備が始まると、この門柱は旧リンガー住宅の真横に移され、現在に至る。
門柱にはフリーメイソンの理想である平等と正義の象徴である定規とコンパスがはっきりと見て取れる。 トーマス・グラバーもフレデリック・リンガーもフリーメイソンに加入した痕跡はないが、長崎の国際墓地には今も数人の会員が眠っており、彼らの墓標には門柱と同じシンボルマークが刻み込まれている。