Story 26晩年のフレデリック・リンガー
長崎の豪商フレデリック・リンガーは晩年、ほとんどの行事やビジネス活動から身を引き、南山手2番地の自宅でゆっくりと過ごすことを選んでいた。当時、長崎に住んでいたあるデンマーク人は、「リンガー氏は隠遁していて、ときどき昼食会に顔を出す以外は、長崎居留地の楽しい社会行事に参加しようとしなかった」と回想している。また、太り気味のリンガーは心臓病を患い、階段を登ることが困難になったので、自宅まで人力車が通れるような道をつくる必要があった。結果として、日本初期のアスファルト道が完成し、現在もその一部が残っている。オーストラリア国立図書館には、元ホーム・リンガー商会の職員であったウィリアム・ハーストンの以下の内容の手紙が保管されている。
明治39年(1906)12月に大浦7番地のホーム・リンガー商会事務所で火事が起きた。消防士が鎮火に取りかかっている間、ハーストンは雇い主リンガーのもとに緊急事態を知らせに急いだ。家の中は真っ暗であった。若いイギリス人は焦りながらドアベルを鳴らしたが、返事はなかった。彼は再びベルを鳴らし、ようやく家の奥で光が灯ると、光がみえる窓に向かい、「社長、あなたですか?」と叫んだ。「だれだ?」窓の反対側でリンガーは怒鳴った。「ハーストンです、ハーストン」「いったいどうした?」「事務所が火事です、事務所が火事です!」と答えると「じゃあ鎮火したらもう一度知らせに来い」と、ベテランイギリス人商人はぶつぶついうと窓を閉めて灯りを消した。