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Story 30ウォーカー邸の防空壕

 太平洋戦争勃発のニュースが長崎に届くと、憲兵隊は、R・N・ウォーカー商会を閉鎖させ、同商会の日本人従業員および南山手乙28番地のウォーカー邸に務める使用人や庭師を家に帰した。ロバート・ウォーカー2世夫妻は日本国籍を保持していたので強制収容所行きを免れたが、憲兵や特高警察は反日行動を防ぐためにその一挙一動や隣人との接触を厳しく監視した。

 昭和18年(1943)10月、日本内務省は全国に防空壕建設の命令を出した。まず民間団体が崖、丘陵、建物の床下に、続いて家族単位でこれら防空壕を庭や家に掘り始めた。ロバート・ウォーカー2世も長崎市民としてその命に従った。翌年までに、南山手の自宅の庭の斜面に5人が十分収容できる2部屋分の防空壕を一人で掘り上げた。

 同20年8月9日午前11時、ウォーカー家は南山手乙28番地の庭に腰を降ろして自家製の野菜で簡単な昼食をとろうとしていた。そこへ飛行機の爆音が遠くから響いて会話が遮られた。見上げると、米軍機が町の上空高く飛びその後にパラシュートが落下してくるのがロバートの目に映った。直ちに妻と3人の子供を防空壕に避難させたが、自身はそうする間もなくまばゆい閃光が空を覆い強力な熱線が背中を打ち、奇妙なほどの静寂が数秒続いた後、非常に大きな爆発と激しい爆風が吹き荒れた。衝撃に動揺し防空壕の暗闇の中で家族は互いに抱き寄せ合った。その間も長崎の北部上空にきのこ雲が舞い上がり、日本に2発目の原爆を投下して機体を軽くした米軍機が長崎港の空高く傾斜して南方へ姿を消した。

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