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Story 35長崎伝統芸能館の秘話

 グラバー園の出口には、「長崎伝統芸能館」という現代的な建物がある。来園者が旧グラバー住宅から下って来ると、この建物のドアをくぐって「長崎くんち」に関する映像や展示物のある広いホールを通過する。この敷地は、元々居留地の中にあった南山手4番地の細長い区画である。初めに永代借地権を取得したのは、トーマス・グラバーの弟たちのジェームズとアルフレッド。昭和8年(1933)にはリンガー家が土地を購入し、外国人住民の紳士社会組織である「ナガサキ・クラブ」に2階建ての木造建築を貸した。南山手4番地を含むリンガー家が保有していた土地のほとんどは、太平洋戦争中に敵国財産として日本政府により売却された。

 長崎近くの香焼島で造船所を運営していた川南工業は、大浦7番地のホーム・リンガー商会の建物に事務所を移し、川南家の人々は南山手にあるリンガー家の2軒の邸宅(現在の旧リンガー住宅と旧オルト住宅)に居を構えた。

 一方、南山手4番地の建物は日本軍の救護施設となった。かつては欧米人たちが庭でくつろぎながら眺めていた長崎港の景色は、警備軍の双眼鏡や侵入者への発砲に構える機関銃の照準機を通してみられていた。

 戦後に長崎へ戻ってきたシドニー・リンガーは、南山手4番地の土地と建物を長崎県共済組合に売り渡した。その後、同組合の宿舎が建てられ、「南山手荘」として長年親しまれた。昭和56年(1981)にその跡地に建設された長崎伝統芸能館は、去年も100万人以上の来園者を迎えた。

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