Story 37日本初のダイナマイト実演
明治14年(1881)2月、トーマス・グラバーとフレデリック・リンガーが新たな共同作業に取り組んだ。今回の目的は、日本初のダイナマイトのデモンストレーションを行うことであった。実演の前日、リンガーはイギリス領事に手紙を送り、長崎県知事に通知するよう要請した。長崎を訪問していたノーベル産業の専門家が、南山手のテニスコートと小型船を使って港内でダイナマイトの爆破実演を行うという内容であった。
2月9日午後、天気にも恵まれ多くの日本人や外国人が集まった。専門家が一連の実演を行いダイナマイトの正しい取り扱い方とその想像を絶する爆発力、また通常の状態での安全性を示した。ダイナマイトの使用が日本の鉱業界に画期的な変化をもたらし、石炭を始め様々な砿物の産出高を上げることは明白であった。
その後、トーマス・グラバーはダイナマイトの一部を自分用に残し、自宅の庭に井戸を掘るために使った。この事実は、近所の大浦天主堂のフランス人神父たちがイギリス領事に騒音の苦情を伝えたため、歴史に残っている。イギリス領事の叱責を受けて、グラバーは教会に隣接する羅典神学校の生徒たちが、南山手においてより大きく長期間にわたる騒音源となっていることを指摘し、「私たちの持つ敬虔な信仰心から、リンガー氏と私は以前からこれについての苦情は控えておりました」とくぎを刺した。
その後、東山手の切り通し(オランダ坂)の開削工事など、ダイナマイトは発破として広く活用されるようになった。