Story 39夢の南山手12番地
昭和40年(1965)ごろに発行された左の絵はがきは、開発ラッシュで消えゆく前の南山手界隈を鮮明にとらえている。大浦天主堂の正面階段から洋館群を屋根越しに長崎港を撮影したものである。当時、大浦天主堂は国宝の指定を受けていたが、毎日のミサはそのまま行われていた。門前の土産品店が時代の移り変わりを感じさせるが、東急ホテル(現在のANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒル)やその他の近代建築がまだ現れておらず、煙突を持つ居留地時代の洋風建築が残っていたことが分かる。この辺りは旧南山手12番地。今では新しいカトリック大浦教会が立つ場所だが、居留地時代は多くのイギリス人やロシア人が住んでいた閑静な住宅街であった。
日本郵船会社のイギリス人船長で、キリンビールの筆頭株主でもあったウィルソン・ウォーカーも長年、家族共々ここに住んでいた。絵はがきが発行されたころ、旧ウォーカー住宅とウォーカー夫人がかつて経営していたクリフ・ハウス・ホテルの建物はそれぞれ、雨森病院と三上工作所としてまだ利用されていた。東急ホテルの前身である11番地のベル・ビュー・ホテルは大正10年ごろに廃業し、澤山家の豪邸がホテルの跡地に建設された。
戦後になると、澤山邸は「異人館」という観光施設として公開されたが、グラバー園が開園したと同じ昭和49年(1974)に新しいホテルの敷地として再開発された。その後、旧南山手12番地は土産品店がひしめき合う観光地の門前町として賑わってきたが、往年の街並みと情緒は残念ながら過去の夢となった。