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Story 43炭坑技師の急逝

 旧南山手乙27番館は南山手に現存する数少ない幕末の洋風建築。元々トーマス・グラバーの弟アレクサンダーが住んでいたが、グラバー商会倒産後、ここに住んだ人々の中にはスコットランド人ジョン・ストーダット(John Stoddart)がいた。エジンバラ大学工学部を卒業した彼は、明治11年(1878)に高島炭坑の技師として来崎。同炭坑が三菱経営となった明治14年(1881)、ストーダットは監督炭坑技師に抜擢され、長崎県における炭坑開発に大きく貢献していった。

 ストーダットは明治23年(1890)に結婚して翌年からイギリス人の妻とともに南山手乙27番館に居を構えた。同年、若い夫婦はクリスマスの祝日を楽しく過ごし、ストーダットは正月早々に商用のため上海へ出発した。1月10日の夜に長崎へ帰ってきたとき、彼は具合が悪く熱にも侵されていた。しかし、友人たちの助けを断り高台にある自宅まで寒い夜の中をのぼり帰った。驚いた妻はすぐに医者を呼んだが、その甲斐もなく翌日に急性肺炎で息を引き取った。享年36歳。墓碑は坂本国際墓地に今もたたずんでいる。

 ストーダット夫人が長崎を去った後、南山手乙27番館はドイツ人船長ヨハン・ジェセルセン一家の住宅となったが、大正7年(1918)ごろから大浦界隈でジャパン・ホテルを経営していた清水新太郎の所有となり、昭和10年代まで外国人専用の賃貸住宅として使われた。現在、旧南山手乙27番館は「南山手レストハウス」として公開されており、独特な和洋折衷様式を伝えながら過去の悲話をささやき続けている。

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