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Story 51蝶々夫人ゆかりの地

 旧グラバー住宅の最後の住居者は、アメリカ進駐軍大佐のジョセフ・ゴールズビーと妻のバーバラであった。昭和22年(1947)から約3年間居を構えた二人は、同住宅を「マダム・バタフライ・ハウス」と呼んだ。戦前のあらゆる文献には、グラバー家の人々や近所の日本人たちが「蝶々夫人の家」のあだ名を使った形跡はない。長崎が有名なオペラの舞台であることだけ知っていたゴールズビー夫妻がエキゾチックな建築様式と美しい景色に魅せられて使い始めたのだろう。 初めは進駐軍の遊びに過ぎなかったが、やがて日本人も「蝶々夫人の家」に着目し、未だ復興ならない被爆地に観光客を誘って経済を立て直すきっかけにしようと考えた。

 昭和23年(1948)5月に毎日新聞の取材を受けた郷土史家・島内八郎は、旧グラバー住宅に蝶々夫人の記念碑を設置する計画が持ち上がっていることを明らかにした。「あそこならお蝶夫人の家のイメージにホンニピッタリ」というのが理由だった。上記取材後、毎日新聞の記者とカメラマンが旧グラバー住宅を訪ね、同年8月10日付の新聞に「お蝶夫人の宅跡発見」という見出しの記事を掲載した。写真には、同住宅を背景に蝶々夫人をいかにも意識した風に肩越しに和傘を差してポーズを取るゴールズビー夫人の姿があった。しかし、トーマス・グラバーやわずか3年前に自らの命を絶っていた長男倉場富三郎の名前が記事になかった。

 その後、旧グラバー住宅は、「蝶々さんの家」または「蝶々夫人ゆかりの地」として長崎の新たな観光産業を支えていった。

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