Story 53ウィリアム・オルトと岩崎弥太郎
イギリス人商人ウィリアム・オルト(William Alt)が南山手14番地に建てた豪邸は現在、国指定重要文化財「旧オルト住宅」としてグラバー園で保存・公開されている。
ウィリアム・オルトは1840年に陸軍将校の長男としてロンドンで生まれた。父が早く亡くなり、ウィリアムは家族を助けるために13歳から帆船シャーロット・ジェーン号の乗組員となって故郷を離れた。1857年10月、上海に寄港した際、彼は下船してポルトガル人経営のバロス商会に就職。翌年、上海の税関所に転職して国際貿易のノウハウを身につけた。安政6年(1859)10月、開港後の長崎を訪れて商業の可能性を感じ、上海に一旦戻ったものの、税関所の退職金と友人からの融資などを資本に貿易商者として独立して長崎において「オルト商会」を開設。まだ19歳の若さであった。
その後、オルト商会は飛躍的に成長し、グラバー商会やウォルシュ商会と共に長崎居留地の発展に貢献した。貿易活動は日本茶、海産物や米などの輸出と食料、布類や中古船などの輸入であった。土佐藩の岩崎弥太郎と特に親交が深く、三菱社創設の一翼を担った。次のエピソードは「岩崎弥太郎伝」に紹介されている。
慶応3年(1867)、ウィリアム・オルトと岩崎弥太郎は乗馬で外出した。長崎郊外の関所に到着したとき、オルトは戻ることを提案したが、岩崎は見張りの者に対し、拒否すれば国際的な衝突を招くことになると巧みに警告することによって、2人を通すことを承服させた。
驚いたウィリアム・オルトの顔が眼に浮かぶのである。