重要な
お知らせ一覧

Story 56旧リンガー住宅を建てた人

 グラバー園に現地保存されている「旧リンガー住宅」(国指定重要文化財)は元々リンガー家ではなく、トーマス・グラバーの弟アレクサンダーが建てたものである。アレクサンダーはグラバー商会に入社するために1863(文久3)年に来崎し、翌年に南山手2番地(旧リンガー住宅所在地)に自宅を建てるために永代借地権を取得した。その後、スコットランドの故郷アバディーンから呼び寄せた恋人メアリー・フィンドレーと結婚したが、間も無く帰国した。1870(明治3)年ごろに再び長崎へ来航するが、妻と一人息子ライルと別れてひとりになっていた。

 アレクサンダーは南山手2番地の住宅に戻らず、高島炭坑に勤め、グラバー商会の破産整理に追われる兄トーマスを手伝った。同住宅は1874(明治7)年にフレデリック・リンガーの所有となり、リンガーが1883(明治16)年にカロリナ・ガワーと結婚するころに入居。その後、リンガー家の人々はこの家を「ニバン」という愛称で呼ぶようになった。

 一方、アレクサンダー・グラバーは同じ1874(明治7)年に長崎を再び離れた。その後数年間の消息は不明だが、ジャーディン・マセソン商会の上海事務所に勤めていたと思われる。1882(明治15)、長崎へ戻って来た彼は、ジャーディン・マセソン商会代理人の肩書きを持っていた。同年7月28日、米国進出をもくろんでいたトーマスとアレクサンダーは、市場調査のためにアメリカ西海岸へ向かった。結局トーマスだけが日本へ戻り、アレクサンダーはワシントン州で土地を買い、余生をアメリカで過ごした。

リーフレットのダウンロード