Story 68隠し部屋は「都市伝説」
1957(昭和32)年、三菱重工が長崎造船所開設100周年を記念して旧グラバー住宅を長崎市に寄贈した。その後、長崎を代表する観光地に成長するが、初めのころは進駐軍が面白半分に付けたニックネーム「マダム・バタフライ・ハウス」や「蝶々夫人ゆかりの地」として紹介され、グラバー家の人々の暮らしや各部屋の使い方についてほとんど分からないままだった。
その中、附属屋廊下の天井から入る屋根裏収納庫が特に話題を呼んだ。欧米の住宅によく見る収納のアティックだが、トーマス・グラバーが幕末の志士たちをかくまった「隠し部屋」とされた。気まぐれな推測に過ぎなかったが、隠し部屋は俗称として定着し、坂本龍馬もここに隠れたという奇説にまで発展した。
旧グラバー住宅は、1966(昭和41)年から2年間にわたって修復工事が実施された。長崎市が終了後に発行した「旧グラバー住宅修理工事報告書」では、いわゆる隠し部屋について、「当初からのものと判断しかねる資料がある」と明記されている。その資料とは、床板の裏面に職人たちが墨で書いた「倉場」の文字である。つまり、旧グラバー住宅の修復工事中に、屋根裏収納庫は志士たちが活動していた幕末ではなく、1894(明治27)年から「倉場」の姓を使っていた倉場富三郎の時代に増築されたものと分かった。
しかし、この専門家の指摘にもかかわらず、隠し部屋は都市伝説として現在に至る。世界遺産に登録された旧グラバー住宅。今後、歴史的根拠のない「ロマン」ではなく、研究に裏付けられた史実に重点を置きたい。