Story 71南山手の貴婦人、カロリーナ・リンガー
カロリーナ・リンガー(旧姓ガワー)は、1857(安政4)年、ローマで生まれた。父は幕末から明治期にかけて日本で炭鉱開発の監督として活躍したイギリス人土木技師エラズマス・ガワー。伯父は、初期の日英交流に重要な役割を果たした外交官エイベル・ガワーだった。
カロリーナは中国・アモイの商人、エドモンド・パイと若くして結婚したが、間もなく夫に先立たれ、当時長崎の高島炭鉱で勤務していた父の元に来た。父は、現在は南山手レストハウスとして使われている南山手乙27番館に居を構えていた。1883(明治16)年、彼女はこの街で知り合ったフレデリック・リンガーと再婚し、南山手2番館(現在の旧リンガー住宅)に入居した。その後、長男フレディー、長女リーナ、次男シドニーの母となった。
夫が地元商業界で頭角を現すなか、ピアノを得意とするカロリーナは社交界の華として様々なコンサート、記念祭や福祉イベントを企画していた。厳格なカトリック信者だった彼女は、大浦天主堂のミサやその他の行事にも参加した。彼女はやがて、「ナガサキのグランダム(貴婦人)」と呼ばれるようになった。これに関して次のような逸話もある。
カロリーナが米国横断鉄道に乗っていたときに、西部のある町のかつぎ人夫の態度の悪さに怒って、「私が誰か分かっているの?私は長崎のリンガー夫人ですよ」と言い放ったそうだ。そのかつぎ人夫は何のことかさっぱり理解出来なかったという。
カロリーナ・リンガーは1924(大正13)年に体調を崩してイギリスへ帰り、67年の生涯を閉じた。