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Story 72幻の門柱

 グラバー園出口の横に現在は使われていない旧入り口の石段がある。その上には、白い御影石の高い門柱と唐破風に曲がった鉄の横げたを持つ持印象的な門が立っている。この門の来歴について説明板も資料もないが、元々大浦7番地のホーム・リンガー商会入り口に立っていたものと思われる。

  1861(文久元)年に行われた長崎居留地の区画整理後、イギリス人商人ウィリアム・オルトが長崎港を臨む大浦海岸通りの中心に位置し、居留地最高の立地条件を誇っていた大浦7番地の借地権を確保して二階建て洋風建築を建てた。オルト商会退去後、建物はホテルや中国領事館として使われ、1888(明治21)年10月からホーム・リンガー商会の事務所となった。 1895(明治27)年ごろの大浦海岸通りと軒を並べる洋風建築を捉えた写真を見ると、ホーム・リンガー商会事務所の前に立つ白い御影石の門柱がはっきりと写っている。その後に発行された写真や絵はがきにも同様に門柱の存在が確認できる。

 長崎の国際貿易を牽引してきたイギリス人豪商フレデリック・リンガーは1907(明治40)年、英国に一時帰郷中に死去し、ホーム・リンガー商会は息子と孫たちに引き継がれた。太平洋戦争勃発後、大浦7番地の事務所は敵国財産として売却され、終戦まで長崎に本部を置く川南工業の事務所として使われた。

 1945(昭和20)年9月、建物はアメリカ進駐軍に接収され将校たちのレクリエーション施設に改造されたが、翌々年に火事で焼失してしまった。 建物の前に立っていた門柱がいつごろ南山手へ移設されたかは不明である。

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