Story 73アルミロ・デ・スーザを偲ぶ
アルミロ・デ・スーザ(Almiro C. de Souza)は1880年(明治13年)、ポルトガル人の父と日本人の母の長男として長崎で生まれた。父親のシモン・デ・スーザは、英字新聞の編集者や長崎のアメリカ領事館事務員兼通訳として働いており、島原出身の妻、浜本シトとの間にアルミロを含めて15人の子宝に恵まれた。
アルミロは、1898年(同31年)に東山手の海星学校を卒業すると、弟と共に小売業の「デ・スーザ商会」を長崎居留地に設立したが、語学力を買われた彼はやがて、香港上海銀行に転職した。同銀行の上海本社や漢口支店勤務を経て、1904年(明治37年)に故郷の長崎へ戻り、長崎支店の銀行員に就任。同年に下り松海岸(現在の松が枝町)で竣工した香港上海銀行長崎支店の新館は今も、国指定重要文化財として現存し活用されている。
帰崎後、アルミロはフランス人男性と日本人女性との間で生まれたジャン・ゴルデスと結婚し、大浦天主堂の斜め前に位置する南山手8番地の角に居を構えた。二人の間には8人の子供たちが生まれた。一家の暮らしは順風満帆だったが、アルミロは肺炎を患い、1921年(大正10年)11月1日、妻と子供たちが見守るなかで41年の生涯を閉じた。現在は一対の天使像に守られて坂本国際墓地に永眠している。
南山手8番地の所有者だったヴィクター・ピナテールはその3ヶ月後に他界し、デ・スーザ夫人に土地と建物を譲るという遺言を残した。ピナテールに仕えていた日本人のメイドはそれを争ったが、結局、長年居住していたアルミロ・デ・スーザの遺族が裁判に勝って住み続けることができた。