Story 74旧三菱第2ドックハウス
グラバー園の一番高い位置から長崎港を望む建物は、三菱長崎造船所から移築保存された「旧三菱第2ドックハウス」である。同造船所で初めて造られた鉄製の蒸気船「夕顔」は、三菱第2代社長の岩崎弥之助やトーマス・グラバーが見守るなか、1887年(明治20年)1月に飽之浦の船台から進水した。その後、三菱長崎造船所は拡大しながら新しい設備を備え、やがて東アジア最大の造船所へと成長し、船舶の建造に加え、外国の商船や軍艦の修理も行っていた。
また、外国船が造船所に停泊している間の船員用宿泊施設が各ドックに附属して建設された。 長崎港が日清戦争の勝利で前代未聞の繁栄を享受していた1896年(明治29年)、第2ドックの側に建てられたこの建物は、各階はベランダを備え、4部屋の中央に廊下が通る同様の間取りで、外国人居留地で使われている石炭を燃やすタイプの英国式暖炉が寒い冬の各部屋を暖めた。この建物は、1970年(昭和45年)年に第2ドックが物資置き場を建設するために埋め立てられるまで利用されていた。三菱重工業はその翌々年に第2ドックハウスを長崎市に寄贈し、建物は解体されてグラバー園の高台に移築された。
現在、旧三菱第2ドックハウスは世界遺産関連の展示などに活用されているが、この建物の一番の魅力といえば、長崎港の南は三菱長崎造船所のガントリークレーンが目立つ香焼島から北は浦上の街並みまでを2階のベランダから一望できることであろう。