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Story 77バーフ夫人の無銭旅行

 イギリス人サミュエル・バーフと妻のケート・バーフは、1894(明治27)年、サミュエルが公務員として長年働いていた香港から長崎へ移住し、南山手15番地の高台で隠居生活に入った。サミュエルは長期闘病の末、1897(明治30)年8月、南山手の家で亡くなった。享年69歳であった。

 その後、未亡人となったケイトは南山手15番地で静かに暮らしていた。しかし、1912(大正元)年、彼女が起こした未払い金の騒動により、その奇妙な行動が注目されることになった。

 長崎の英国領事G ・H・フィップスは東京の英国大使に手紙を送り、ケイトが同年の夏、佐賀県唐津の海浜院ホテルに3ヶ月間滞在したが、200円という高額の勘定を支払っていないと報告した。彼女が支払いをせず唐津を黙って去ろうとしたとき、ホテルの主人は駅で彼女を捕まえて宿泊費を請求したが、拒否されたので彼女の手荷物を預かったという。一方、バーフ夫人は、海浜院ホテルを外国人旅行者向けのリゾートとして宣伝することと引き換えに、無料で宿泊させてもらったと反論。しかし、そのような合意の証拠は何もなかった。フィップス領事は、佐賀県の不破彦麿知事に連絡を取り、問題解決のための介入を求めた。不破知事は、手荷物の返却を約束したが、宿泊費が未払いのままである場合、ホテルは法的措置を取らざるを得ないと念を押した。 英国領事館の関連資料はこれで終わっているため、おそらく上海にいるバーフ夫人の息子が借金を肩代わりして返済したと思われる。

 ケート・バーフ夫人は、1922(大正11)年に亡くなり、夫と共に坂本国際墓地に葬られた。

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