Story 90トーマス・グラバーの大砲
平成27(2015)年、旧グラバー住宅を含む23の構成施設からなる「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の世界遺産登録が決定した。「産業施設」とは言えない旧グラバー住宅がリストに加わった理由については、現存する日本最古の洋風建築であるとともに、この建物を自宅として建てたトーマス・グラバーが炭坑や造船など、近代産業の日本への導入に深く関わったことが挙げられる。しかし奇妙なことに、ユネスコに登録されている構成施設の正式名称には日本語と英語で違いがある。
日本語では「旧グラバー住宅」だが、英語では「Former Glover House and Office」、つまり「旧グラバー住宅と事務所」となっている。 グラバー商会の事務所は大浦海岸通りに堂々とたたずんでいた。なお、日本人客を自宅で接待したとしても、グラバーが自宅を「事務所」として使った証拠はどこにもない。南山手のグラバー邸前に設置された大砲を捉えた写真があり、いかにもそこで武器を陳列していたように見える。しかし、日米および日英修好通商条約の第三条では、「軍用の諸物は日本役所の外へ売るべからず」と明記されており、武器の密売が原則として禁止されている最中で、日本人に売るために自宅前に置いたものとは考えにくい。大砲を目撃した松江藩の桃節山は次のように日記に記している。「其前には台場共を相構へ鉄砲拾挺余備へ居れり、しかし此台場之容子を見るに、左まての要害とも思はれず、もしくは是も一ツ之なぐさみなる乎」。
つまり、大砲は商品ではなく、トーマス・グラバーの財力を顕示する装飾的なものだった。