Story 92ジョン・フィンドレーと自動車
明治末期、雲仙と小浜は避暑地として広く知られるようになっていた。夏になると、上海、マニラや香港などから暑さを逃れるために、長崎港に到着した裕福な欧米人の家族連れが茂木まで人力車で行き、茂木から小浜まで蒸気船で橘湾を渡るのが習わしとなった。
1911(明治44)年、長崎県は県営温泉(うんぜん)公園を開設し、ゴルフ場など様々な施設の建設に着手した。 この年、もうひとつの特筆すべき出来事があった。小浜の海岸通りに自動車が初めて出現したのである。中国の漢口で商社を経営していたイギリス人ジョン・フィンドレーが米国製の自動車を持ち込み、友人2名と日本人のガイドと運転手を伴って、同年11月16日、800kmに及ぶ九州周遊旅行に出発した。英字新聞に掲載されたレポートで、フィンドレーは次のように報告している。
「千々石と愛津を経由して小浜から諫早まで、すべてが順風満帆だった。道幅はほぼ共通して4〜5メートル。たくさんの馬や牛、馬車を追い越さなければならないが、思いやって減速するか場合によっては完全に停止することで、我々にも地元の人々にもトラブルになることはまったくなかった。」
自動車が雲仙への危険な道を安全に通り抜けることができるようになるのは、あと数年先のことであった。しかし、ジョン・フィンドレーの冒険は、長崎県における車社会化という新たな時代の幕開けとなった。 晩年、南山手13番地に居住していたジョン・フィンドレーは、1920(大正9)年に病気を患って帰らぬ人となった。享年64。現在は長崎市の坂本国際墓地に永眠している。