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Story 96初期の私設電話回線

 スコットランド出身のジョン・C・スミスは、幕末の早い時期にグラバー商会に入社するために来崎し、1870(明治3)年からフレデリック・リンガーのパートナーとしてホーム・リンガー商会に加わった。その後、同じスコットランド出身の女性と結婚して南山手9番地の住宅に居を構えた。

 長崎におけるビジネス・リーダーのスミスは、居留地社会の様々な組織に積極的に参加し、ナガサキ・クラブの管財人や駐長崎デンマーク領事を務めた。南山手9番地のスミス邸は、初期の私設電話回線架設にも関係している。1886(明治19)年9月、フレデリック・リンガーはイギリス領事を通して長崎県知事に大浦12番地のホーム・リンガー商会事務所と下り松にあった三菱炭坑事務所を繋ぐ私設電話回線の架設許可を申請した。長崎県は電線や電柱の設置場所の詳細を求めたので、リンガーは回線を繋ぐために必要な6つの電柱と2つの建物への留め金の予定地を表示した。電柱の設置場所は、大浦12番地のホーム・リンガー商会敷地内、南山手11番地のベル・ビュー・ホテル敷地内、南山手9番地のジョン・C・スミス邸敷地内、南山手5番地のロシア領事館外と三菱炭坑事務所。留め金の設置場所は、下り松42番地の居酒屋の壁と南山手甲10番地のボーリング・クラブの壁であった。

 ホーム・リンガー商会が出資して負担した工事は明治20年(1887)5月に完成した。長崎市において公設電話が開通したのは、その12年後のことだった。 ジョン・C・スミスは、明治33(1900)年5月、スコットランドの故郷に帰り、1920(大正9)年に他界した。

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