Story 95エドワード・パードン夫妻の物語
1897(明治30)年9月、フレデリック・リンガーは、週2回発行されていた英字新聞『ライジング・サン・アンド・ナガサキ・エクスプレス』と『ナガサキ・シッピング.リスト』の両社を買収し、『ナガサキ・プレス』と呼ばれる日刊の英字新聞を創刊した。印刷所は大浦20番地のホーム・リンガー商会所有地に開設された。当時、長崎は日清戦争後の好景気により空前の賑わいをみせ、多くの外国人が出入りしていた。
1904(明治37)年、イギリス人のエドワード・パードンが活版印刷の過程で重要な役割を果たす植字工として雇われ、妻エヴァと共に来崎した。その後、彼は『ナガサキ・プレス』の編集者に昇格し、印刷所の業務を日本人の助手に任せ、長崎における出来事の取材や記事の執筆など、編集作業に専念した。社交的なパードン夫妻はまた、外国人コミュニティでムードメーカーを務め、さまざまな社交イベントで中心的な役割を果たした。 第一次世界大戦中、エヴァ・パードンは大英帝国女性愛国同盟と呼ばれる組織の支部を長崎に設立し、資金を集めるためのパーティー、スポーツ大会やその他の募金活動を企画した。戦後、彼女はその功績に対して名誉ある賞をイギリス国王ジョージ5世から授った。
パードン家は挫折も経験。1918(大正7)年の記事の中で日本政府の方針を批判したエドワード・パードンは、新聞紙法の違反で告発され、編集者のポストから追われる羽目になった。その後、南山手13番地に住み続けたが、1933(昭和8)年、パードン夫妻は多くの友人たちに惜しまれながら日本を後にした。